鎌 倉
令和2年1月26日(
日)
下田へは、早朝に出発しても到着が午後になってしまいます。
鎌倉へ行って、まだ行ったことのない、源頼朝の墓などにお参りしてから、藤沢で泊まることにしました。
前日の雨で、道がぬかるんでいましたが、鎌倉八幡宮へ抜ける道以外は、ヒッソリとしていました。
腹切り矢倉入口
東勝寺跡に建つ「腹切やぐら」の案内表示です。
腹切り矢倉
元弘3年(1333)5月22日、新田義貞の軍勢に攻め込まれた北条孝時が、自害した場所です。
源頼朝墓への階段
左側に白旗神社があります。
階段の段数は、頼朝の享年の数と同じ53段だそうです。
源頼朝墓
頼朝が生前持仏堂としていた建物があり、そこに葬られたとされていることから、ここを墓と決めたそうです。
北条義時の墓
頼朝の墓に隣接する場所に法華堂があり、その場所を北条義時の墓としたものですが、実際に墓石塔がないため、埋葬場所が定かではありません。
広場の奥の階段を上ると、大江広元、その子毛利季光と、島津氏の祖島津忠久の墓があります。
北条政子の墓
源頼朝の墓から、鎌倉八幡宮を抜け、横須賀線の踏切を越えた場所にある寿福寺の墓所にあります。
参道突き当りを左に進み、右手へ大きく進んだところです。
調べてみると、近くの安養院にも供養塔が建てられているようです。
源実朝の墓
北条政子墓の右手に源実朝の墓があります。実朝は、鎌倉幕府3代将軍でしたが、28歳の時、甥の公暁に鎌倉八幡宮の境内で襲撃され、命を落としたとされています。